「誕生日おめでとう」
毎年、私の誕生日に、母はメッセージをくれます。
幼い頃、私が生まれた日のことを、眠りかけた布団の中で、何度も母から聞きました。心が温まり穏やかになる、ちょっと不思議な、本当にあった物語。どんな絵本の読み聞かせよりも、私の心に残っています。
母と私、温かい記憶の断片
33年前の2月。雪降る夜に、3人兄弟の末っ子として私は生まれました。
出産予定日数日前まで逆子だったこと。母と助産師さんの、分娩室での面白いやりとり。
かけつけた父の反応。姉と兄に優しくしてもらったこと。そのひとつひとつを聞くのが好きで、母と二人きりになると、ふと思い出しては「生まれた時の話聞かせて」とねだっていたような気がします。
その話を聞いている時は心が凪のように落ち着いて、ぽかぽかするのです。この感覚が、昔から好きでした。
私から子ども達へ
私も2人の子どもの母となり、時より彼らが生まれた日のことを話しています。
私「生まれるのがとっても待ち遠しくてね」
娘「“待ち遠しくて”ってどういう意味?」
私「ものすごく楽しみにワクワクして待つって意味だよ」
娘「へぇ~(照)そんなに楽しみだったの?」
私「そうだよ。毎日お腹に話しかけてたんだよ~」
娘・息子「そうなんだ~(照)」
照れながらも、どこか真剣な表情の娘と、ひたすら幸せそうな息子。子ども達も、この話が大好きなようです。
平成の大ヒットソング「愛は勝つ」のように
日々、楽しそうに過ごす子ども達。彼らには、どんな未来が広がっているのだろうと、ふと考えることがあります。
成長の過程で困難も、挫折も、どうしようもなく悲しい時も、きっとある。そんな時は、自分で健やかな心に戻れるようになってほしい。私の切なる願いです。
私は小学生から中学生くらいにかけて、いつも「ここから逃げ出したい」と思っていました。親にも友人にも、誰にも言えないような悩みや葛藤がつきまとっていた日々。夢に出てくるオオイヌノフグリが咲く丘でずっと寝ていたいのに、毎日決まって目が覚める。その度に、「ああ、今日も学校か……」と悲しくなったことを思い出します。
そんな葛藤の時期にも、小さな頃のアルバムを見たり、生まれた時の話を聞いたりしている時だけは、心が優しく丸くなり、穏やかでした。
そうした時間は、知らず知らずのうちに、家庭の中にゆるぎない愛があることを教えてくれたように思います。
外の世界で誰かに否定されても、悲しいことがあっても、心の中で戦って自分を保ち、とにかく家に帰る。決して常にほっこりしている家庭だったわけではないですが(笑)、親子喧嘩や兄弟喧嘩ができるのも、ゆるぎない愛があると分かっていたからこそだと、今振り返ると思います。
自分で進路を選び、環境を変えられるようになるまでの間、私を支えてくれたもの。
それは、ささやかな日常から感じられた、家族の愛でした。どんなに悲しくて悔しいことにも、「♪必ず最後に愛は勝つ~!」なのです。
この先、何があっても大丈夫
私に子どもができたと分かった時、この子たちも私と同じような辛い思いをするのだろうかと、心底未来を心配しました。今もそれは拭いきれてはいないけれど、心配ばかりしてもどうしようもありません。
私にできることはたかが知れているけれど、彼らが生まれた日の感動や嬉しさを伝えることはできます。それはむしろ、親にしかできないことです。
子ども達の心に、愛情の種を沢山蒔いておく。丁寧に水をやり、沢山光をあてる。それが次第に大きな木となって、風や雨から彼らを守ってくれたらいいな。そんな風に思います。
だから私は、今日も明日も、生まれてきてくれてありがとうと子ども達に伝えたい。
色んな方法で、愛情の種を蒔いてあげたい。母が私に、そうしてくれたように。